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1974年からの「燃えよドラゴン」の功罪。
1973年の12月に「燃えよドラゴン」が上映されて以来、
日本中にドラゴンブームが舞い降りた。
とにかく何でもかんでもドラゴンを題名に入れる。
日本の映画配給会社は今まで見向きもしなかった香港カンフー映画をドンドン仕入れていく。
「片腕ドラゴン」 「怒れるドラゴン不死身の四天王」 「嵐を呼ぶドラゴン」
「ドラゴンvs七人の吸血鬼」「帰って来たドラゴン」「地獄から来た女ドラゴン」
まだまだある・・・
香港以外では
「黒帯ドラゴン」「荒野のドラゴン」
テレビでは「闘え! ドラゴン」(倉田保昭)
まあ~凄い。1974年はカラテ映画のバブル時代ですね。
空手道場には入門者は殺到するものの、殆んどがすぐに止めてしまう。
空手とカンフーが混同される。
学校では「アチョー!」と言って同級生をイジメで蹴ったりするバカもいる。
ブルース・リー最強説が論じられる。
お偉い空手家の先生もムキになってブルース・リーについて論じる。
ブルース・リーと親交があったと詐欺まがいの道場もできる。
ブルース・リーが死去の後なので、それに便乗した商売などが後を絶ちませんでした。
それほど世間に影響を与えた「燃えよドラゴン」
でも、罪ばかりではありません。
「私にとってブルース・リーは格闘技への入り口」と角田信朗氏。
と、良い意味の影響を受けた人物も多いのも事実です。
イジメられてた自分を奮起したくてブルース・リーに憧れて格闘技を始めた
人も多いでしょう。
何回も何回も「燃えよドラゴン」を観た人は多いんじゃないでしょうか。
髪型を真似た、ヌンチャクを練習した、セリフを英語で覚えた・・・
色んな人が影響を受けた時代です。
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