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皆さん、あけまして おめでとうございます。
今年も よろしくお願いいたします。

ということで、2015年の第一弾となりました当ブログでは「武道ドキュメント 拳豪の祭典」
を紹介します。
1973年12月に「燃えよドラゴン」が公開され、カラテブームに火が着き日本、いや世界中が
カラテ、カンフーに湧き踊りました。
この映画は1974年9月、一連のカラテ映画とは一線を画しドキュメントという形で空手を始めとする
武道について描かれています。

監督は原田隆司。企画は鈴木正文館長。音楽は津島利章。ナレーターは小松方正。

祭典
「武道ドキュメント 拳豪の祭典」

「現代は武道ブームであるという、このブームは何処から来ているのか。」

日本各地に残されている武道の伝統を、俳優:広瀬義宣が歩く。

「日本列島は高度成長が生み出した歪に荒れ果て、そこに住む人々は前途を見失って無気力に
明け暮れる現代。若者たちは、ようやく生身の人間の力を見直し始めた。
そして、武道の素晴らしさをあらためて噛み締めているのである。」
「我々の先祖たちが人間の極限の力を求めて生み育ててきた数々の武術、今もなお全国各地に
残されているその伝統を、これから広瀬君とともに訪ねてみよう。」

まず最初に広瀬が訪れたのが京都・日本正武館の道場

沖縄直伝剛柔流。

その道場の大きさに広瀬は驚く。

道場内では鈴木正文館長が剣の攻撃に対する技を指導している。

日本刀対空手の演武。

瓦割り、四方板割りの演武が行われる。

そして鈴木館長による貫手での板割り。

果物ナイフに紙を置きそこへ竹を吊るす。それを木刀で割るという技を
披露する鈴木館長。
裂帛の気合とともに木刀を振りおろし、見事に竹は割れ紙は切れていない。

鈴木館長による「転掌」。

「空手が本土に渡って半世紀、跳ぶ、突く、蹴る、この空手の源流は・・・」

次に広瀬は空手の源流を求めて、沖縄へ向かう。

琉球古武道保存振興会による数々の演武。

棒術とサイ。
鉄甲。
トンファー。

信武館館長 範士 赤嶺栄亮による鎌の術。

松林流
興道館館長 範士 長嶺将真による王冠の形。

沖縄へ修学旅行の小学生にインタビュー。

スタッフ「空手って知ってるでしょ?」
小学生「知ってる。」
スタッフ「君はやってる?」
小学生「やってない。」
スタッフ「友達でやってる人いる?」
小学生「いない。」

「沖縄では、過去二度にわたって禁武政策が行われた。」
「これらは武器を取り上げられた人々が徒手空拳あるいは農具日常の道具などを
武器に代わる武器として極秘のうちに研究練磨していったいわゆるゲリラの武術である。」

沖縄 小林流
究道館振興会本部館長 範士 比嘉佑直による首里手 平安(ピンアン)四段

沖縄 剛柔流
明武館館長 範士 八木明徳による那覇手スーパーリンペイ

 

沖縄で女子学生にインタビュー。

スタッフ「ブルース・リーの映画観たでしょ?」
女子学生「はい。」
スタッフ「どこが面白かった?」
女子学生「ヌンチャク使った時の鋭さ?」

鈴木館長が沖縄宜野湾に住む102歳の空手家・上江洲安睦を訪ねる。
「長寿の研究家が驚くほどの肉体の持ち主である。」
「朝は6時半に起き、千坪の畑を一人で耕しその傍ら闘牛を飼い寄合いや祝い事には
空手を披露するなど元気この上ない。」

上地流
修武館館長 範士 上地完英によるサンセーリュー。

 

 

鹿児島
「島津藩お家芸・示現流」
激しい気合とともに立木を打ちつづける。

「一つ、刀は抜くべからざるもの」
「一つ、一の太刀を疑わず二の太刀は負け」
「一つ、刀は敵を破るものにして自己の防具にあらず」
「一つ、人に隠れて稽古に励むこと」

自分を守るのではなく、機先を制して攻撃するというのが示現流の教えだという。

千葉県野田市
戸隠流忍法三十四代宗家 初見良昭

「人間の運動機能を最大に活用して超能力の世界に挑戦するこの一団。」

武芸十八般プラス忍者十八系三十六単位を得なければ一人前の忍者になれない。
根本にあるのは体術という、空手、合気道、柔道の原点の殺しのエッセンスである。
我々ようにバカになれる人間が非常に少ない、しかしバカになれるとういうのは非常に
大切なことだと初見は話す。

静岡県沼津市
宝蔵院流槍術 師範 山本卓夫

「突き、刺し押しと言われる槍の技にも三分の突き、七分の引きという術の秘伝があるという」
「太平の世以来、無用の長物と片付けられ継承者も極めて少ないようである。」

山本は、元海軍予備学生。数奇な経歴を歩み続け、ただ一人槍の練磨、研究を行っている。

槍を行う者が少なすぎるために試合もできない。
その山本に異種試合の話が持ち上がった。

1974年6月29日、念願の剣道との異種試合を迎える。

対するは静岡県剣道連盟理事 教士六段 小澤清。

槍か剣か?

対峙する二人。

山本は上段、中段と構えを変化させ隙を狙う。

山本の突きが小澤を襲う、小澤は槍をかわし面を狙う。
互いの攻防が続き、そして闘いは終わる。

「勝負はいずれにも分あらず。だが、彼の胸中には、この一瞬に賭け
今日まで歩んできた誇りと情熱。一顧の満足感が溢れる。」

「これからも不断に立ちはだかる現実の荒波を男の意地で見事に乗り切るであろう。」

瀬戸内海を走るフェリー。その乗客にインタビューする広瀬。
広瀬「少林寺拳法て御存知ですか?」
乗客「はい。」
広瀬「自分で経験なさったことありますか?」
乗客「それはないです。」

女性客にも聞く。
広瀬「少林寺拳法って知ってますか?」
女性客「はい、知ってます。」
広瀬「ああいうものに興味ありますか?」
女性客「ありません。」

四国香川県多度津
少林寺拳法総本部

そこへ多くの若者が続々と集まって来る。

「少林寺拳法の本質は、敵に勝つための武術でなければ健康増進のための体操でもない。
己を確立し己に勝つ。自己感性の行でなければならぬと説かれる。」

「中国に始まった武術を、戦後我が国に伝え一大発展を遂げさせた管長 宗道臣と
その周辺を訪ねてみた。」

宗道臣が語る。
「宗教との結びつきを便宜上やったのではなのです。
私自身の生活鍛錬から最後の拠り所になるのは自分自身しかないんだと。
そういう意味で自己の発見から始まって、自己の尊厳を確認して、それができたら
人間は一人では生きていけないんだとういことが分かるわけなんです。」

「支部道院の数、国内1600ヶ所、国外14ヶ国100ヶ所、拳士の数50数万人。
少林寺拳法は信仰の気概に燃え自由な立場からその技と心を人々に強く訴え続けていくだろう。」

水鷗流居合剣法十四代宗家・正木流鎖鎌術十一代宗家
居合道教士八段、剣道教士八段、杖道教士七段 勝瀬光安

広瀬に勝浦が無刀取りを教える。

木刀を構える広瀬に対し勝瀬は右手を前にした構え。
即座に広瀬は木刀を勝瀬に振り下ろすが、勝瀬は広瀬の右側へ回り込むと同時に
広瀬の両腕を封じてしまう。

「人を斬るには、要は振り上げてブッタ斬るのみ。きわめて実戦向きに考え出された
武術である。」

勝瀬は、剣、木刀、杖、鎖鎌に対してあらゆる稽古を積み重ねていく。

山形県米沢市
稲富流砲術隊
「米沢藩稲富流砲術の伝統は、現在も旧藩士の子孫の人々によって受継がれている。」
「空砲とはいえ、その威力は10メートル先の5分板を貫通するという。」

「オラが鉄砲づら、若えもんに負けるか!冒険心と活気、技と腹、
まさにビッグアドベンチャーグループである。」

「生きるための果てしなき闘争。その必然の結果として人間が力の極限を叩きつける武道。」

「老いも若きも武道修練の日々のうちに、人間の力の素晴らしさを味わい、
それを育んだ大自然の力の偉大さにあらためて触れることであろう。」

ー終ー

【解説】
「燃えよドラゴン」以来、B級、C級のカラテ、カンフー映画が公開されていました。
その辺に飽きた感があった人には新鮮味があったんではないでしょうか。
ドキュメント形式で成功したのが後の1976年に公開された「地上最強のカラテ」ですが、
その先駆けとなったのが、この映画ではないかと思います。
小松方正さんのナレーションが、「地上最強のカラテ」のナレーター内藤武敏さんにあまりにも似てます。

さて、まずこの映画のインタビューを担当していた広瀬義宣さん。
東映映画で数々の脇役をこなしていた方です。
この映画の前年は「仁義なき戦い 広島死闘篇」に出演。
後年には、「鬼龍院花子の生涯」にも出演されてます。
武道については素人っぽい感じの人が探究していくストーリーで良かったと思います。

冒頭に出てくる日本正武館。
鈴木館長亡き後は、色々あって正式に河野安雄館長となったようですが?
なぜか河野安雄館長を検索すると中華系のページばかりが目立つのは何故?

鈴木館長が全日本硬式空手道連盟の会長を務めておられ、その後いくつかの分裂があったようですが。
その辺は詳しくないので、コメント避けます。

空手といえば沖縄。
そこで沖縄に取材というのは自然な流れですね。
「琉球古武道保存振興会」は、今も活動されてます。

一点残念であったのが、沖縄空手についてナレーションで「ゲリラの武術である」
と紹介されてましたが、ゲリラとは違います。空手は奇襲攻撃して殺したりするなどの
武術ではありません。琉球の時代から士族によって伝承されてきた立派な武術です。

信武館館長 赤嶺栄亮先生(1925-1999)は、常に実戦を想定し弟子にも非常に厳しかった方のようです。
1970年に「琉球古武道保存振興会」の2代目会長となっています。

琉球古武道 信武舘

興道館館長 長嶺将真先生(1907~1997)は1940年沖縄県で唯一、大日本武徳会から「空手術錬士」の
称号を授与されています。

世界松林流空手道連盟 長嶺空手道場

究道館振興会本部館長 比嘉佑直先生についても、「拳豪 比嘉佑直物語」が刊行
されているほどの人物。
真新しい巻藁を一撃の正拳突きで何度も折ったという逸話もあります。

明武館館長 八木明徳先生 86年に勲四等瑞宝章、93年には琉球新報第1回空手道功労賞を受賞し、
97年には県指定無形文化財「沖縄の空手・古武術」の保持者に認定されるほどの人物。
2007年の映画「黒帯 KURO-OBI」に出演した八木明人師範(沖縄剛柔流空手道連盟・明武館館長)
の祖父になられます。

当時102歳の上江洲安睦さんは、石細工(イシゼーク)で宜野湾村で最も有名な方
だったそうです。
http://www.ginowan-okn.ed.jp/kenkyujo_bak/kidsjinon/word/hs09_2.html

この映画の前半は空手でしたが、何故か後半は他の武道の紹介となってます。

沖縄から鹿児島へ飛び剣術の紹介となります。

示現流という剣術は、とにかく激しい実戦重視の剣術ですね。
面白いのが、稽古では道着などでなく普段着のまま稽古したりするそうです。
これは、いついかなる時でも実戦に対応できるためだそうです。

示現流と言えば薩摩(鹿児島)ですが、そこへ渡って示現流を学んだのが琉球の偉大な
武術家 松村宗棍(首里手系空手の始祖)当時の唐手にも影響を与えたという話もあります。

忍術の初見先生については、知っている方も多いのではないでしょうか。
最近のテレビにも時折出演されております。
私も子どもの頃テレビアニメ「少年忍者風のフジ丸」を観ていて初見先生が
忍術の解説をしていたのを覚えています。
現在は古武術道場の武神館で多くの修行者を指導しており外国人からも人気が
あるようです。
御年83歳になられた今も壮健で活躍されています。

宝蔵院流槍術は「宮本武蔵」にもエピソードがあり、その名前は聞いたことがある
と思います。奈良の「槍の宝蔵院」といえば、その強さで有名であったと言われます。
約450年前、宝蔵院覚禅房胤栄により創始されたそうですが、現在では伝承者も
少なくなってきているそうです。

少林寺拳法については、当ブログ「宗道臣の激動半世紀!千葉真一主演「少林寺拳法」」にも記載しているので、そちらも御覧なってください。

少林寺拳法、最近では組織改革?が行われ宗教法人であることから公共の施設の使用ができなくなり
道院が閉鎖されているという話も聞きます。
さてさて、今後どのようになるのか?

水鷗流居合剣法、「子連れ狼」の拝一刀が水鷗流の達人という設定ですが、
実際の水鷗流居合剣法とは違います。
映画の中でも、水鷗流の歴史に拝一刀の名は無いと言ってますが、そりゃ
当たり前でしょ。

水鷗流居合剣法は、剣は元より鎖鎌、杖、薙刀なども扱う総合武術ですね。
これも実戦重視の剣術です。
勝瀬先生の無刀取りも、実戦に使えそうな技ですね。
真剣白羽取りなどは実戦には不向きでしょうから。

この映画の最後に登場する「稲富流砲術」
ここまで紹介するか?と思いましたが、これまた立派な武術です。
昭和39年の東京オリンピックで披露されたそうですが、次の
東京オリンピックでも是非披露してもらいたいと思います。

さて、空手に始まり様々な日本の武道、武術を見せてみらいましたが、
何故か柔術、柔道が無かったですね。できれば、そちらも紹介して
欲しかったと思います。

色々ツッコミあるとは思いますが、数々の武道を紹介してもらって楽しめました。

日本の武道は世界最強です!

では、今年も「あの時燃えた!カラテ映画の歴史」をよろしくお願いします!

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